Zaki-san's Bar

少しゆっくりしませんか? 楽しい事、好きな事 話しましょ

不調だった2016~2017 色々な意味で転機だった

前回書いた通り、2015年から学生時代の友達とバンド復活

など、なんとなく動きが沢山あった。

 

junsandazo.hatenablog.com

2016年 バンドが本格始動した

2016年、バンド活動が本格化した。皆、楽器の腕前のリハビリ

半年を経て 何とか曲を合わせられる(ある程度のレベルで)

ようになってきて楽しくなってきた!

で、そんな中で年の半ばに昔一緒に仕事をした事のある後輩から

の誘いがあって、会社の部署を移る事になtった。

ところが、その移った先の仕事が非常に残念なトラブルの巣窟だった。

 

丸一年、もがいてもがいて。。。ついにドクターストップ

最初に、少し難しい状況にある事は聞いていた。もちろん、周囲から

実績と経験を期待されての異動だった。。。が、実態は全く最初に

聞いていた状況とはレベルが全く違う瀕死状態のプロジェクトだった。

そんな状況でいきなり責任者に祭り上げられたのだ。

沢山きつい仕事もしてきたが、この時一番つらかったのは周囲が

責任者なんだからよろしくモードになっており、しかも上位の人間が

ドライそのものの外人も多く、なんとかして切り抜けるために説明を

しても「お前、これ個人事業者だったら本当に続けるのか?」

「今すぐ止めるのが普通じゃあないのか?」などと言われる始末

 

また、次々に明らかになる 誰も知らなかったさらに酷い実態。。。

そして大トラブルがまたまた頻発した事で、さすがに心身ともに疲れ

結局 過労でドクターストップとなった。

 

後から考えると 仕事そのものの大変さではなく、周囲のチームが

一体になっているかどうか というのがストレスで最後倒れてしまう

かどうかの決定的な要因である。

あとは、体力である。 40代までは(これは僕の場合という事だが)

きつい事があっても体力があった、しかも一緒に乗り切る仲間に恵まれ

ていた。 がさすがに50半ばになると気力を振り絞ろうとしても、

物理的な体力が追い付かなくなる。

 

音楽が、もう一度立ち上がる力をくれた

そんな中、バンドの方は続けていたが(身体的にNGだった約1か月以外)

その中で、ついに 近くのライブバーを借り切ってライブをやろう!

という話が進んでいた。

実際、2016年の異動の際には、それまでの部署で送別会を開いて

もらったが、その際に記念品として、僕が指定して贈ってもらったのは

TCエレクトロニクスのSpark mini boosterだった

ちょっと話が脱線するが、このBoosterは他の製品に比べて安価であるが、

全く歪まずに音が太くて張りがでる。 前の記事で書いたIbanezのギター

の弱点をかなり補ってくれて最高だった。

仕事以外のそういう場があった事は本当に救いであり、やはりなんらかの

目標がある事で人間は前向きになっていけると本当に思った。

 

結果、苦労は無駄ではなかった

最終的には、仕事の方はこのブログで何度も書いている 大阪赴任と

なるわけだが、考えればこの大変な苦労があって、このタイミングで

リセットされなければ、この話自体が僕の所に来なかった可能性が

非常に高かったわけでもある。

結果、無茶苦茶楽しい 大阪生活が始まる事になったわけだ。

ようするに「なるようになる」「意外に大丈夫なもんだよねえ」という

辛い時の乗り越え方で良く耳にするフレーズは長い目で見れば真実だ

っていう事なんだよね。 めでたしめでたし(笑)

まあでも、辛い真っ最中は本当にもう疲れ果てていたけどね。

 

赴任2週間前にライブを決行!

第一章は大学時代、で、この時の第二章ってわけでした。

ほんとうに懐かしい思い出です、とりあえずこの記事も

ハッピーエンドでよかったよ。